SNS gadgets and bookmarks

Clip to Evernote   Check

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

音楽で頭がいっぱいだった頃、考えた事がある。
喜ばれるなら演歌だって演ってみよう。
喜ばれるなら下手な踊りも踊ってみよう。


僕らはみんなで生きている。
巷に溢れている仕事が、何の変哲もなく見えるある仕事が、人に何かを伝える事がある。知らず知らずに人を動かす事がある。
人の生きる世に、しょうもない仕事なんてない。
誰も気がつかなくたっていい。自分の中に思い描くことのできる本物を追い求めたい。
スポンサーサイト

my favorite video vol.9





my favorite video vol.7



my favorite video vol.3

Oumou Dédé Demba (singer)
Mariam « Djodjo » Diabaté (singer)
Mamadou « Général » Diabaté (dunun)
Ibrahima Diabaté (dunun, n'goni)
Ibrahima Sarr (djembe)
Brahima Coulibaly (dance)
Seïba Sissoko (dunun, n'goni)
Moussa Diabaté (balafon)


アフリカと自分

アフリカ音楽とはなんなのか。
自分はどうかかわっていくのか。

世界に対するそれぞれの向き合い方。
誰にとっても共通の答えなんてないと思う。
この文章を書くことで誰かの否定をするつもりはない。

これは僕からの世界の見えかた。
アフリカを通して感じる世界。

--------------------------------------------------------
「アフリカはどんなところですか?」
「アフリカっていいですよねー」
「アフリカ人の血を感じますよね」
アフリカをひとくくりにする発言をよく耳にする。
アフリカ人なんて人種は存在しないし、そんな国はどこにもない。

大航海時代以降、世界がつながり黒人白人黄色人という概念が生まれ、黒人に対する支配的差別的な捉え方が多くの国に広まった。
(もちろん植民地主義の被害者はアフリカの人々だけではないが)
反動として黒人解放運動が起きた。アフリカ諸国でもアフリカ系アメリカ人スターは大人気だ。
「ブラック・イズ・ビューティフル」は世界的に広がった。

アフロアメリカン達は母なるアフリカ大陸へ憧れ、回帰運動を起こした。
今アフリカの青年達は、奴隷としての歴史に対して、共通した認識を持っている。
僕たち先進諸国民(と言われる人達)は貧困や野生等、アフリカに対する画一的なイメージを持っている。

そこには不理解という大きな溝が横たわる。

----------------------------------------------------------

「伝統的な…」、「伝統そのもの」は同義ではない。
僕らはトラディショナルという単語ですべてをくくってしまう為に、この二つの意味を同じ文脈で語られている事例が多すぎるのではないだろうか。

伝統芸能と商品化された音楽は違う。
多くの人がギニアンバレエスタイルを伝統音楽だというが、僕は、彼ら自身が商品化した「伝統的なエッセンスふんだんに盛り込んだ舞台芸術」だと思う。
未熟な外国人ドラマー(ダンサー)が生徒を取りクラスを行う事に問題があるという意見がある。
お金というのは需要と供給の間に動く相対評価であって絶対的基準にはならない。
程度にもよるとは思うが、自分を先生として商品化する上での在り方や説明の方が問題ではないかと思う。

生徒が、自分の先生は何者なのかをきちんと理解しているならば、学習段階であってもお金が動くこと自体は構わないと思う。教えてくれる時間とエネルギーに対して、交通費や場所代等の必要経費に対して。

それよりも、宣伝をする上で、自分がアフリカンドラマーだという付加価値をつける人のありかたに対して違和感を覚えることが多々ある。

なぜアジアンドラマーが存在しないのにアフリカンドラマーが存在するのだろう?
アフリカという曖昧な単語を使用するなら、それに対する自分なりの向き合い方を持つべきじゃないだろうか。

商品として自分に値段をつけ、不特定多数の人に広告をうつ上では、嘘は良くないし考えがないのも良くない。アフリカを売りにして演奏をすることで、その先にいるアフリカの先生たちのイメージを変えてしまう可能性もある。
自分が伝統芸能の継承者と言えるのかどうかについての考えが持てれば、継承者への敬意、過剰広告による第三者へ与える影響もうき彫りになると思う。


日本でも、アフリカのという枕詞に頼らないパフォーマンスが出来るミュージシャン(ダンサー)が増えれば、環境はもっと変わっていくかもしれない。


日本人が組むアフリカンダンス&ドラムワークショップツアーを批判する人がいる。
「アフリカの音楽や舞踊はアフリカのものだ。俺たちは昔からおまえら白人に搾取されてきた。日本人には金も仕事もあるだろう。俺たちの仕事を取るな。」
現地ギニア人に言われたことがある。これを言われると辛いし大切な意見だと思うが、常に正しい発言だとは限らない。
実際に搾取されているかに関して言えば、多くの場合一長一短の場合が多いように思う。

先進諸国には感情論で物事を進めること、特にアフリカの場合は救うべき存在だと決めつけてしまう風潮がある。

歴史的に優越な白人種(日本人含む)と、被搾取的立場の黒人種という構図ですべてを説明づける事に引っかかる。
個人の立場でいえば、「ごめんなさい。もうしません」じゃなくて、「じゃあどうすればいい?」という提案者でありたい、彼らと関わり続ける以上はその中で一緒に模索していきたい。

-------------------------------------------------------

批判的内省的な意見にも納得する点が多々ある一方で、西アフリカマンデ系伝統音楽を学ぶ人達の伝統に対する関心と敬意は、その他のジャンルよりもかなり高い水準にあるようにも思う。
日本における中南米のポップスミュージシャンが、伝統を理解しているかというと、そうとは限らない。
だからといって、確立されたポップジャンルとしてのラテンミュージックにおけるプロミュージシャンが中南米伝統音楽を現地人同様に理解する必要があるのだろうか。

クラシックというジャンルがある。古典音楽という意味をもつ。
西洋の伝統的な宗教音楽や宮廷音楽から続く芸術音楽の事を指す。
それに対して、西洋以外の各民族の音楽を指した民族音楽という言葉が存在する。

言うまでもないが、地域ごと、コミュニティごとに歴史が育んだ文化があり古典芸能が存在する。
宮廷、宗教、大衆、村祭等、古典と呼ばれるものから派生する様々なスタイルが存在する。

古典と言っても、クラシックの楽曲は今でも作られ続けているし、新しい楽器も生まれて続けている。
西洋中心主義的なモノの見方が生活の隅々にある。「クラシック」という単語の持つ矛盾がそれを表す。

-----------------------------------------------------------------

これまで莫大な金額がODAでアフリカへ供与されてきた。
インフラ整備後の資源流通ルートの確保が大きな目的の一つ。

搾取的な構図を取っ払うには、アメリカ主導の市場原理主義から考えなおさなければいけない。
資本主義経済というルールの中で行われる国際競争には、国家も企業も参加している。
安いからといって購入している、ユニクロ製の服は、冷凍食品はどこから来ているのか。

資源供給量を需要量が大幅に上回る産業国は、海外の資源を買い、付加価値をつけ、先進国で販売する。
資源供給国に工場を作り、原料と作業員を現地でまかない、現地企業には外貨が入る。

資源産出各国各地の地下資源は残り10年、50年の単位で予測されている。 一時的に国は潤うが、放っておけば資源が無くなった時、国際競争力が一切ない国になってしまう。
資源の輸出量に規制をかけ始めた中国は、コンゴ(旧ザイール)にとってアメリカ・フランスに次ぐ援助国となった。
これまで搾取され続けた中国、次は中国がアフリカを搾取するのだろうか。
食品、衣類、電気製品などの生活に直結する多くの商品。企業努力の名のもとに搾取は繰り返され、同じ企業によってその一部が最貧国に寄付される。
かわいそうなアフリカ。そういった感情論のみでアフリカを語る事は、地球上を覆う複雑な問題に目をつぶることになりかねない。

矛盾だらけだといって、今全てを壊すことはできない。
これが現状最善の手段なのかもしれない。
僕らに何ができるのか考えてみたい。


---------------------------------------------------------

2002年初めてマリに行ってから、いろんな事をしてきた。
演奏者としていろんなところでパフォーマンスをさせてもらい、日本でもアフリカでも学び手として生活してきた。


同時に、現地アーティストのジャパンツアーを運営や、ジェンベを中心とした音楽のシーン作りに挑戦してきた。
そういった方向性の中で様々なイベントをうってきた。

2008年春からお店もやるようになった。
アフリカの素敵なところを伝える為に出来ること。
一部の愛好家だけではなくて、一般の人たちに来てもらわないと世界は広がらない。
その為の方法。
その上でどうやって儲けを出すか。
魅力を感じてもらえるようにアレンジをかけていくなら、素材であるアフリカをもっと自分のものにしなければならない。

イベントも、お店もすべてアフリカの商品化。
社会に対して自分達に何ができるのか。

---------------------------------------------------------
日本人なら日本人の音楽をやればいい。なぜあえてアフリカの音楽をやる?



こんな事を言うと笑われてしまうかもしれないけど、僕は地球人でありたい。
日本人がアフリカの太鼓を叩くことは一般社会から見ればちょっと不自然かもしれないけど、一昔前よりもアフリカは随分近くなった。

僕はボブ・マーリーが死んだ年に生まれた。キング牧師もマルコムXもこの世にいなかったし、JBもマイルスもフェラクティもみんなビッグスターで黒人芸術と括られるものはすでにある程度の国際的地位を得ていた。
人種差別が撤廃されたというつもりは全くないけど、特に音楽はすでに確立され消費されたムーブメントでもあった。
僕は小さな頃から神楽を見るのが大好きで、村祭の太鼓を触らせてもらったこともあるけど、中学生の頃にはマーヴィン・ゲイ、JB、ジミヘンを聴いていた。
吹奏楽部に入ってトランペット担当になってからは、ジャズの世界にあこがれた。
そんな僕がアフリカ音楽にはまった一番大きな要因は「黒人音楽に触れる環境が身近にあったから」だと思う。

僕は10代まで一般的な日本人イメージと自分の違いばかりを意識していたが、海外に出ることで自分が日本人という事を意識させられた。
日本という国がしてきたこと。自分がいま日本人としての生活を営んでいること。
芸術は国境を越えるけど、経済格差は国境で堰き止められている。日本人としての暮しのレベルは守られている。

歴史を学ぶことは大切だけど、時として概念に縛られることにつながる。
今、地球は50年前とは違う繋がり方をしている。
アフリカがどうやったら経済的に自立するのか、その答えはまだまだ分からない。

地球人が地球で音楽をするという事、それは紛れもないオリジナル。
どんな道だろうと、僕は地球人として生きて行きたいと思う。

伝統的なものだろうと、革新的なものであろうと、それはそれだけで存在できない。
僕たちはみんなで生きている。
何故自分がこの道を歩めるのかを考えたい。

理解と共生の元に多様性が生かされる。
そんな社会形成に参加したい。

28歳を迎えるにあたって

僕はもうすぐ28歳になる。
27歳の一年間はそのエネルギーをBAOBABとジェンベ打サミットにつぎ込んだ。

幕を引くにあたって、少し振り返ってみたい。
メチャメチャ長いです。

------------------------------------------------------------------------

1980年代、自動車、家電産業中心に欧米への輸出が伸び、日本経済は更なる躍進を遂げる。
終身雇用に支えられた総中流的意識と、欧米偏重的な認識は物的豊かさと共に確立された。
バブル経済により世界第二の経済大国となった日本は、『世界で最も成功した社会主義国家』と言われ、バブル経済へと加速する。

------------------------------------------------------------------------

1981年2月23日僕は広島で生まれた。

10代の頃、人一倍反発心の強かった僕は、西欧以外の価値観について強い興味を持った。

学校では、日本社会で生きる為のノウハウをたくさん学んだが、何故それが大切なのか、その社会システムは何故作られたのか、根本的な答えはいつも分らなかった。
将来の夢の欄にはいつも何も書けなかった。

あふれる世界への疑問を明らかにする間もなく、進路選択は迫る。
同級生たちは、偏差値を基準に進路を選んだ。
その頃の僕には、主体性のある未来が想像できなかった。

とにかく日本を出たい。
そう思いながらも、漠然とした計画しかなく、それすらも逃避であるとどこかで自覚していた。

強い反発心を持つ自分の感性を疑い、否定と肯定を繰り返しながら、僕は大学へ進学した。

情報が溢れる大学で、古代文明や、ネイティブ・アメリカンに関する文献に触れ、先住民族への強い憧れを抱いた。
哲学、心理学、考古学、文化人類学。
学問はそれぞれの道筋から人間の根本へと迫る。

20歳の頃、伝統的な暮らしを営む村に滞在する機会を得た。
西アフリカのマリ共和国。
独自の神話体系と価値観を持つドゴン族。
彼らの集落の中でも特に辺境の村で過ごした一ヶ月間。

そこには、数百年前から続くであろう、高度な社会システムを持った共同体があった。
それは強大な自然に対抗するために作られた、尊敬と協力を旨とした相互扶助システムであると同時に、迷信深く閉鎖的な村社会でもあった。

彼らと同様の暮らしをすることで、自分はこの地では虚弱な異邦人だということを思い知らされた。

けれど、貨幣が流通していなくても、電気が流れていなくても、彼らが欲するものは僕と変わらなかった。
人間の想い、人間としての営みは世界中どこでも一緒なのだと確信した。

僕の持つ電気製品や大金が彼らの人生観を変えることを恐れつつも、彼らと積極的に関わった。

日本でアフリカの情報を手に入れ、飛行機に乗って、ここへ来た僕。
辺境の村で外国製品を目にし、目を輝かせ、町に出て行こうとする若者。

現代に残された理想郷、そんな風に思っていた村は、国際社会と影響し合う、独自の社会保障システムを持った人間の集団だった。
そこに昔の日本を見て、彼らがそれぞれの望みにむかって変化を望むことを肯定的に捉えた。

そう考えた時、あれほど嫌っていた現代文明には、完全に否定できるものは一つもなかった。
気がつけば、僕は日本人として生きることを受け入れていた。

------------------------------------------------------------------------

2008年4月、カフェの経営に取り組んだ。
アフリカ文化に触れる為に作られたカフェ。
3年の営業を経て閉店しようとしているところだった。せっかくの場をなんとか活かすことができないか。想いを形にしてみたかった。
大した経験も技術もない、資金力もなければ計画性もない。
事業性なんて到底期待できないにも関わらず、オーナーは僕にチャンスを与えてくれた。
自己採算制、責任は僕個人が負うという事で、経営を引き継いだ。


就任してから3ヶ月後、最高売上を更新し続けた。
10ヶ月が過ぎ、100年に一度と言われる大不況が訪れたが、多くの人に助けられ何とか維持することができている。
ニーズの確立されていないアフリカに特化した店づくり。
多くは望めないが、若くしてやりたい事が出来るのなら、良いのかもしれない。

店は少しずつ認知されてきて、協力者も増え、常連さんも少しづつながら定着してきた。
新メニュー、レシピの新たなシステム整備も進み、ビジネス性を持たせる為、違う場所への出店の可能性も考えられるようになった。
日本人の生活にとって有益なものを提供する。その点をもっともっと突き詰めてけば、不況に負けない店づくりが出来る。

長期的なプランを明確にしていく中で、限界も見えるようになった。
このままでは、自分とその周辺だけで完結してしまう。

自分は何のためリスクを負ってカフェ経営に取り組んだのだろう。
僕は報告書を書き、店の所有者と話し合った上で、閉店を選択した。

------------------------------------------------------------------------

今、経営=金儲けというイメージが付きまとう。
多くの社会貢献はイメージアップや、名ばかりの集金システムにすぎない。
企業が行う寄付やボランティア。
搾取的構造から生みだした大量のお金を一部を、弱者に対して寄付する。

アメリカは金融を基幹産業に据えた。
システムをに目を向けなければ何も変わらない。


もともと経営とは仏教用語だった。
経とは真理を探究すること。営とは脈々と続く日々の暮らし。
一生をかけて真理を探究することを経営という。


日本資本主義の父と呼ばれる渋沢 栄一(1840年3月16日-1931年11月11日)
彼は実業家にたいして4つの訓示を挙げている。

(1)その事業ははたして成立すべきや否かを探究すること
(2)個人を利するとともに、国家社会を利するものなりや否やを知ること
(3)その企業が時機に適合するや否やを判断すること
(4)事業成立の暁においてその経営者に適当なる人物ありや否やを考えること


この100年の間に、科学は驚くほどに進歩した。
大自然、共産主義、核戦争、過去に比べ脅威がなくなったことによって、企業や国の協力意識は薄れてしまった。
国連は国益ベースでしか動けない。地球規模での視点が必要になっている。


------------------------------------------------------------------------

長い時間をかけて、ヒトは地球上到る所に分布した。
ヒトが住まう所に可能性は必ずある。

あらゆる資源は土地に依存する。
多くの食料が生産出来ない地域だとしても、その土地ごと、有効な活用法が必ずある。

インフラ状況、政治不安、紛争、スラム。アフリカ各国とのビジネスにはカントリーリスクが大きすぎる。

何故、高度な共生社会システムを持つ彼らに、国が上手く運営できないのか。
アフリカ大陸では植民地時代の傷跡がいまだ癒えていない。
西欧社会が押し付けた国家と実情の不一致。

日本は維新を経て回天した。
驚異的な近代化を遂げ国家を構築した。

個人の力で国家は形成されない。

時代の気運と強い必要性が明治維新を可能にした。

------------------------------------------------------------------------

経済格差、南北問題、民族紛争、資源枯渇、環境問題。

山積みの問題を先送りしながらも、時代は必要に迫られ徐々に転換へと向かう。

シリコンバレーに原丈人というベンチャーキャピタリストがいる。
現在の金融業は株価偏重による短期収益であり生産を伴わない。会社の価値は公益の如何によって測るべきだと主張する。
彼は現代のアメリカ経済界の中心にいながらも、多くの産業を支援し、ビジネスとして成功させることで持論を証明している。

アメリカは、モノづくりを放棄し、金融ビジネスを膨れ上がらせた。
今、世界は恐慌の真っただ中にいる。
市場原理主義は大きく躓き、その矛盾をさらけだした。

公益資本主義の基盤となる新たな市場の創設の為、彼は今日本を奔走している。


東京にマザーハウスというブランドショップがある。
経営者の山口絵理子は若干28歳。
僕と同い年だ。
ビジネスを通じた国際貢献を形にするをモットーに途上国で最高の商品を企画・生産し、それを先進国のお客様にお届ける。
体一つで飛び込み、バングラデシュの人達と手を取る。

途上国に対する想いを持ち、近代文明以外の世界を知り、現代社会で建設的な活動を続ける彼ら。
その活動を想うたび、胸が熱くなる。
地球は小さくなった。より良い地球社会に向けて人々が世界を舞台に駆け回る。
自分には何ができるんだろう。



元アメリカ大統領バラク・オバマは決して若手、知識層など、経済界以外の人々に強く支持された。
金と権力に支配される選挙活動において、5ドル10ドルの小口寄付を大量に集めたオバマ。
勝利の瞬間は国民の声が経済的有力者達を圧倒した瞬間でもあった。

それを可能にしたのは現行システムが生んだ大不況と、インターネットという科学技術だった。

オバマ新政権に何ができるかはわからない。
だが、その選挙において人々が政治に向き合い、そこに希望が見たことは確かだ。


大航海時代、長い間アジアが世界経済の中心だった。
還インド洋文明圏と東アジア文明圏の交易には、数百の諸民族が従事していたと言われる。
苦心したイギリスはインド木綿コピーを生みだし、産業革命へと発展する。
金銀が逆流すると共に、西欧とアジアの関係は逆転した。


転換の時代はもうそこまで来ているかもしれない。
時代を問うチャンスは必ず訪れる。

------------------------------------------------------------------------

まだ注目されていないもの。その可能性を引き出し価値を創造する。
そうして個人と社会双方の利益をもたらす。
それが本来のビジネス。

僕は20歳から27歳まで、西アフリカを日本に紹介することに費やした。
イベントやカフェという手法を通して、音楽、食文化、工芸、染色等を日本人に魅力のあるようアレンジし提供してきた。

その中で経営の可能性を知った。

今28歳。人には身の丈に合った仕事がある。
自分はどこまでやれるのか試してみたい。
海千山千のつわものが蠢く世界で泥まみれになってでも、まだ自分がそれを面白がることができるのか。
全力でぶち当たってみたい。

そんな想いが日に日に大きくなる。


誰かのために何かをするんじゃない。
自分の道を歩むために、自分の思いにまっすぐ生きる為に挑戦する。
僕は慈善家になりたいわけでもないし、活動家になりたいわけでもない。

第三世界の人々が先進国と対等に渡り合える世界。
犠牲的な精神や、救いの気持から行う国際支援ではなく、お互いが益を生みだすビジネスモデルとして確立する。
そんな道が引けないだろうか。

たとえ実現できなくったっていい。
理想とやるべきことが見えたなら、自分を信じてそこに向かっていくしかない。


歌わなくても、踊らなくても、本気で何かを求めるなら、それはそのとき表現となる。
芸に仕えるも、人に仕えるも、万物に仕えるも、人々にとって有益な事であるならば、それが仕事になる。


世界の食べもんやストリートを日本の都会のど真ん中に作りたい。
「アフリカや、アジア、ラテンアメリカの人達とビジネスがしたい」先進国が本気でそう願うような仕掛けづくりがしたい。

それぞれの利が全体の益になる。
全体の損がそれぞれの損になる。
世界中それぞれの国が、素敵だと感じ合える、尊敬し合える、そんな共生社会に向かって歩みたい。

そんな仕事がしたい。

大きな夢に至る見えない階段。
まだまだ見えないけど、一歩ずつ歩むしかない。

六然訓(りくぜんくん)

自(じ)處(しょ)超然
處人(しょじん)藹(あい)然
有事斬(ざん)然
無事澄(ちょう)然
得意澹(たん)然
失意泰然


崔後渠(さいこうきょ)

BAOBABブログ出来ましたー

BAOBAB専用ブログできましたー!
看板娘ゆかりの力作です!


http://baobab2008.blog94.fc2.com/

入場無料第四弾!ひきたま&木村和人

2008年07月26日(19:30START)
live@BAOBAB(京都市左京区一乗寺築田町95 メゾン白川2F)


2008/7/26(土曜)

ひきたま&木村和人

19:30START
ノンチャージ/要1オーダー/投げ銭

hikitama-home-photo.gif
ひきたま(うた、カリンバ、コラ、パンデイロ)


a-kimura2.jpg
木村和人(コンガ、カホン、per)


無国籍で透明感あふれるスパイシーなごちゃまぜサウンド。アフリカ、ブラジルの楽器で
日本語のオリジナル曲を弾き語ります。なのに、懐かしいのはなぜ?必聴!いちおし!

畑野菜

昨日はいろんな人が遊びに来てくれました。


ちかくの畑カフェで働く雅
PICT0019_20080723114115.jpg


紅葉が居酒屋で働いていた店のボス。現在も木屋町の某居酒屋で店長。
PICT0015.jpg


こうやって知り合いが来てくれるのはほんとにありがたい。

雅は畑で採れた野菜を持ってきてくれました。
畑をやっていると野菜は季節ごとに同じものがまとめて大量に出来あがる、それをいかに工夫して食べるかが楽しいし、季節野菜ばかりで作ったいろんな料理が並ぶ食卓。
本当の贅沢ってそういうことかもあなぁなんて話していました。

BAOBABにはニンジンが大量にあります。

ニンジンのアフリカ風煮
ニンジンピクルス
ニンジンアイス
ニンジンパン
ニンジンスムージー
ニンジンケーキ

色々開発中でっせー!
twitter
click please!! mixi イイネ!ボタン
カテゴリ展開メニュー
  • 紅葉のボヤキ(120)
  • 今日のあれこれ(5)
  • アフリカンイベント情報(66)
  • 旧BAOBABブログ(23)
  • 地球(7)
  • 音楽(13)
プロフィール

紅葉

Author:紅葉
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

大学時代に西アフリカを訪れ
その豊かさに大きな衝撃を受けました

おもしろいこと中毒で
好奇心に引ずられるように生きています

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

紅葉へのおたよりはこちらから!!

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
FC2カウンター
RSSフィード
最近のトラックバック
このページのトップへ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。