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消費傾向

   

通販市場、コンビニ・百貨店抜く 08年度、8兆円強に


 通信販売市場が成長している。2008年度の全国売上高は推定8兆円強と、コンビニエンスストアや百貨店の規模を抜いたもよう。自宅や外出先からパソコンと携帯電話を使いインターネット経由で注文する比率が7割以上に達する。このネット通販をけん引役に市場全体は00年度に比べて3倍強に膨らんだ。働く女性・高齢者の増加や自宅で買い物を済まそうとする傾向など消費構造の変化をとらえており、成長が続きそうだ。
 カタログ・テレビ通販主力の企業でつくる日本通信販売協会の販売データと、野村総合研究所のネット通販に関する調査を基に集計した。

  NIKKEI NET



 出口の見えない不況感が、新しい需要を呼び起こしている。
商売のプロになりたいなら、消費の気持ちになるプロになれ、か。




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混乱するイラン

イラン:デモ、地方5都市に拡大 暴動の可能性も

15日、テヘラン市内でムサビ元首相支持者から殴られる大統領派民兵とみられる男性(中央)=AP 【テヘラン春日孝之】イラン大統領選の開票結果を巡り、改革派ムサビ元首相の支持者らが15日にテヘランで強行した大規模デモで、参加者1人が当局側の発砲で死亡、数人が負傷した。抗議行動は中部イスファハンなど少なくとも地方5都市に波及し、暴動に発展した可能性がある。

 AP通信によると、改革派支持者がテヘラン市内の革命防衛隊関連施設になだれ込もうとしたところ、発砲されたという。

 抗議行動は▽南部シラーズ▽北東部マシャド▽北西部タブリーズ▽中西部ケルマンシャー▽中部イスファハンに飛び火したが、暴動の規模や負傷者などは不明。一方、今回の大統領選で敗れたカルビ元国会議長は15日、ムサビ氏と行動を共にする意向をウェブ上で表明。「共通の敵」アフマディネジャド政権に対し共闘して「大統領選の再実施」を求める方針だ。

 こうした動きを受け、最高指導者ハメネイ師から今回選挙の適法性を「検証」するよう求められた護憲評議会は、早急に結論を出す意向という。ロイター通信によると、テヘランでは16日夕(日本時間夜)にも改革派支持者による大規模な集会が開かれる模様。

毎日新聞 2009年6月16日 13時04分(最終更新 6月16日 13時54分)



 この種のニュースを聞いたとき、遠く離れた国の現実に圧倒され、より大きな悲劇に発展することのないようにと願う。
そして、自分達には何が出来るのかを考えさせられる。

 イランの政治問題には、アメリカ対外戦略と影響しあう。
 これまでも、非民主主義国家というレッテルによって、戦争が起きた。
法の支配と市民社会の形成という正義を世界中に広めるために。



 一週間くらい前の読売新聞に、米外交問題評議会会長のリチャード・ハース氏の寄稿が掲載されていた。世界への認識、戦争への認識、異なった価値観への認識、その違いにハッとした。

 それは、オバマ大統領の外交政策を分析するものだった。
湾岸戦争を行った父ブッシュを現実主義路線とし
イラク戦争を起こしたブッシュ前大統領を理想主義路線と定義する。

 二つの路線の本質的な違いを
非民主主義国家に対する米外交政策の主要な目的の違いだと説明している。
他の国の対外行動に影響を及ぼすことにあると信じる人々が【現実主義者】であり
他国のうちにある本質を変えることにこそあるとする人々【理想主義者】
である
 ブッシュ前大統領が行った対テロ・対イラク戦争というのは、どこか宗教戦争を想起ささせるものだったのを思い出す。
分析はわかりやすいものだったし、納得できる点も多い。
 気になったのは、文章の背景にある『非民主主義国家』に対するアメリカの認識。そして非民主主義国家に対する戦争の是非だ。

> 未成熟な民主国家は、ともすれば大衆迎合主義に陥りやすい。成熟した民主国家の構築は困難で、時間がかかるものである。
> 米国は法の支配と市民社会の成長を奨励する一方で、たとえ相手国が民主的であろうとなかろうと、その国の政府と共同で事に当たる必要がある。

 非民主主義国家にある問題を解決する為に、自国の軍隊を送り込む。
彼 (彼の背後にいる、決して少なくはないアメリカ人達は) の論調にはアメリカが正義を代表すると信じて疑わない姿勢が感じ取られる。

彼はこうも言う
>例えばイスラエルは、非民主国家であるエジプトやヨルダンと、30年以上にわたって平和的な関係を続けてきた。
米国と旧ソ連も、基本的な立場の相違にもかかわらず、例えば核兵器の管理など、限られた形で協力した。

 イランの選挙問題は、【民主国家】【非民主国家】という色分けを鮮明にすることにつながっていく。
その境界の矛盾と、国家のもつ傲慢さに憤りを感じ、その先に見える世界を憂う。

おーいでてこーい

 石川県でオタマジャクシが天から降ってきたと騒ぎになっている。
浜松市と広島県三次市でも降ったそうな。

 ニュースを見ていて、星新一の代表作『おーいでてこーい』を思い出した。
大量消費社会への警告ともとれる作品だ。

 とある台風の後、近郊のある村はずれの小さな社が
がけ崩れで流された。
そこに直径1mくらいの小さな穴が残されていた。
底は見えない深い穴だった。

 「おーい でてこい」と若者が穴に向かって叫んで
みたが、そこからは何の反響もなかった。
ばちが当たるから止めとけと老人が止めたが、
若者は勢いよく石を投げ込んだ。

 やがて、底が見えないその穴に都会のゴミ、排水、
放射性廃棄物が捨てられる。
きれいになる都会。良い事ずくめに人々は喜んだが…



 メッセージ性は強いのに不思議と感情的に感じない。
そんな作風が好きで、古本屋で買って読みまくった時期がある。

 映像化もされているみたいだ。





 映像もいいけど、個人的には小説の方が好きだな。

ボッコちゃん (新潮文庫)ボッコちゃん (新潮文庫)
(1971/05)
星 新一

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一歩

満点バイク の美緒ちゃんがブログでFollow the Women2008を終えてというエントリーをアップしている。
一部を抜粋する。

そう、私には幸せなことに驚くべきことに自由がある。
同情し、嘆き悲しみ、申し訳なく思い、考えることしかできない、という状況では決してない。
この自由があることにあらためて感謝をした。
世界の現実。
歴史的な背景もあれば、政治的、文化的、宗教的いろ~~~んなことが絡み合って複雑化している。
伝え発信するにはそれらを学び理解し、知識をもたないといけない。
誤った情報発信はとんでもない方向へ導いてしまうこともある。
だからといって、すべてを完全にわかりきるまで黙り、じっとしているのか。
そうしなければならないのか。
これは大学生の時にも何度も自分に問いかけた。
答えはNOだった。
今でももちろん、NOだ。
自分にできることからまず一歩。
小さくとも大きな可能性を秘めた最高の一歩。
こぎだすことではじまっていく、広がっていく。


※Follow the Womenについては、日経エコノミーで美緒ちゃんが記事を書いているので、それを参考にしてください。
日経エコノミー『山崎美緒の自転車で行こう!』

美緒ちゃんは東~南アフリカ。

僕は西アフリカ。

同じアフリカでも全然違う。
食べ物も、文化も全然違う。
距離で言うと日本とインドくらい違う。

 日本人が、アフリカ人は~だからさぁ。
なんて一括りにしている光景を見ていると、「アフリカ人なんておらん!そんなこといってるから、ジャポネもシノアも同じだと言われるんだ!」と言ってやりたいくらいだ。
(西アフリカでは、フランス語をもとにして中国人の事をシノアという。日本人は中国人と一緒だと思っている人は多い。)

 一方でアフリカを一括りにした概念は、先進国にも西アフリカのバンバラ語にも存在する。
そして、僕とは違うアフリカを訪ね歩いている美緒ちゃんの指すものが、僕の中にはすーっとはいってくる。

 サハラ以南のほとんどの国は、経済的には貧しくて、政治家や役人の汚職がひどくて、お金持ちじゃないと病院にいけないし、教育を受ける機会が持てない人もたくさんいる。紛争が繰り返され本当に悲惨な状況の地域もある。
国家がしっかり機能している国は稀だ。

 けど、僕の知るアフリカの人々は、なんでも笑い飛ばす明るさを持っている。
仕事も、収入もないけど、とても幸せそうな人たちがたくさんいる。
きっと、日本にもあったであろう豊かさが、そこにはある。


 私たちは、日本では考えられない悲惨な出来事を目にしたとき、あれやこれや言うけど、事態はそんな単純じゃない。真剣に改善を考えたとき、その難しさに直面する。安全な外側から正しい事を口にするだけじゃ何も変わらない。

メディアは貧困、明るさ、どちらかだけをパッケージする。物事を単純化しないと人々には届かない。
だけど、アフリカの豊かさと貧しさは、表裏一体で、どちらかだけをなくすなんて都合よくはいかない。


 美緒ちゃんは、発信し続けようとしている。
曖昧で、見る角度によって真実がコロコロ変わるこの世界から、美緒ちゃんなりの真実を見つけ、希望と一緒にみんなに伝えようとしている。

先進国と途上国。
アジアとアフリカ。
日本とマリ。
日本とケニア。

境界線の向こう側に生きる人達と、そちら側に生きる人達が、少しずつ関わっていければ、世界はもっとおもしろくなる。

大きな可能性を秘めた小さな一歩を今日も踏み出そう。

入るを図って出るを制す

 『入るを図って出るを制す』とは、農村復興事業を推し進めた二宮尊徳の言葉 だ。
 どんな規模であろうとも、商売の如何は収入と支出のバランスだ。


電通戦略十訓

1. もっと使わせろ
2. 捨てさせろ
3. 無駄使いさせろ
4. 季節を忘れさせろ
5. 贈り物をさせろ
6. 組み合わせで買わせろ
7. きっかけを投じろ
8. 流行遅れにさせろ
9. 気安く買わせろ
10.混乱をつくり出せ



 電通で1970年代に提唱されていたとされる戦略十訓を読んで、今違和感を覚える人は少なくないだろう。

 好景気と過剰消費が相乗関係にあり、こうしたビジネスのあり方は当時の人々にとって望ましい影響をもたらしていた。
現在も、車産業が大きな内部矛盾を抱えながらも数十年にわたって表面的なステータスを維持してきたことや、政府の経済政策からは、その時代の残り香を感じる。

 金融経済を毛嫌いしながらも、生活はそのシステムに依存していて、その維持向上を政府に求める。 金融業や政治家が景気について考え報告をするのは職務だけど、結果を待つばかりの国民が声を揃えて景気がよくなれば上手くいくと大騒ぎするのはどうなんだろう。

 景気循環は天気みたいなもので、国家レベルで行う景気対策もやらないよりはマシ程度のものと言われる。ましてや個人の力で大きな変化を起こすなんて難しい。
それならば、晴れの日があれば、雨の日もあるというように、そうした日々を受け入れて対策を立てる方が一人一人のするべきことだという気がする。
僕は、雨の日嫌いだけど、雨が降らない世の中なんて、きっとロクなもんじゃない。


『入るを図って出るを制す』意識は企業においても、個人においても高まりつつある。
人々に求められる企業・製品はなんなのか。

そんな、当たり前の事が当たり前に要求される時代。やっぱり僕たちは恵まれている。

積み上げる

団体に所属していても
個人であっても

目標を明確にして
そこに至るまでの作業をリストアップし
限られた時間の中で効率的にこなしていく

当たり前のことを積み重ねる

駐ブルキナファソ初代大使

不況になっても、資源争奪戦はまだまだ続く模様。
最近は大使に総合商社の方が就任されるケースが増えている。

こうした流れがアフリカと日本のパイプを太くして、地下資源だけではなく、人材、文化が双方向に行き来するようになれば、きっと世界はもっともっとおもしろくなる。



丸紅株式会社
2009年5月22日

元当社社員杉浦勉氏(2009年5月21日付にて当社を退社)は、
本日の閣議において、駐ブルキナファソ国特命全権大使に
就任することが決まりましたのでお知らせ致します。

By:Marubeni Corporation



アフリカと自分

アフリカ音楽とはなんなのか。
自分はどうかかわっていくのか。

世界に対するそれぞれの向き合い方。
誰にとっても共通の答えなんてないと思う。
この文章を書くことで誰かの否定をするつもりはない。

これは僕からの世界の見えかた。
アフリカを通して感じる世界。

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「アフリカはどんなところですか?」
「アフリカっていいですよねー」
「アフリカ人の血を感じますよね」
アフリカをひとくくりにする発言をよく耳にする。
アフリカ人なんて人種は存在しないし、そんな国はどこにもない。

大航海時代以降、世界がつながり黒人白人黄色人という概念が生まれ、黒人に対する支配的差別的な捉え方が多くの国に広まった。
(もちろん植民地主義の被害者はアフリカの人々だけではないが)
反動として黒人解放運動が起きた。アフリカ諸国でもアフリカ系アメリカ人スターは大人気だ。
「ブラック・イズ・ビューティフル」は世界的に広がった。

アフロアメリカン達は母なるアフリカ大陸へ憧れ、回帰運動を起こした。
今アフリカの青年達は、奴隷としての歴史に対して、共通した認識を持っている。
僕たち先進諸国民(と言われる人達)は貧困や野生等、アフリカに対する画一的なイメージを持っている。

そこには不理解という大きな溝が横たわる。

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「伝統的な…」、「伝統そのもの」は同義ではない。
僕らはトラディショナルという単語ですべてをくくってしまう為に、この二つの意味を同じ文脈で語られている事例が多すぎるのではないだろうか。

伝統芸能と商品化された音楽は違う。
多くの人がギニアンバレエスタイルを伝統音楽だというが、僕は、彼ら自身が商品化した「伝統的なエッセンスふんだんに盛り込んだ舞台芸術」だと思う。
未熟な外国人ドラマー(ダンサー)が生徒を取りクラスを行う事に問題があるという意見がある。
お金というのは需要と供給の間に動く相対評価であって絶対的基準にはならない。
程度にもよるとは思うが、自分を先生として商品化する上での在り方や説明の方が問題ではないかと思う。

生徒が、自分の先生は何者なのかをきちんと理解しているならば、学習段階であってもお金が動くこと自体は構わないと思う。教えてくれる時間とエネルギーに対して、交通費や場所代等の必要経費に対して。

それよりも、宣伝をする上で、自分がアフリカンドラマーだという付加価値をつける人のありかたに対して違和感を覚えることが多々ある。

なぜアジアンドラマーが存在しないのにアフリカンドラマーが存在するのだろう?
アフリカという曖昧な単語を使用するなら、それに対する自分なりの向き合い方を持つべきじゃないだろうか。

商品として自分に値段をつけ、不特定多数の人に広告をうつ上では、嘘は良くないし考えがないのも良くない。アフリカを売りにして演奏をすることで、その先にいるアフリカの先生たちのイメージを変えてしまう可能性もある。
自分が伝統芸能の継承者と言えるのかどうかについての考えが持てれば、継承者への敬意、過剰広告による第三者へ与える影響もうき彫りになると思う。


日本でも、アフリカのという枕詞に頼らないパフォーマンスが出来るミュージシャン(ダンサー)が増えれば、環境はもっと変わっていくかもしれない。


日本人が組むアフリカンダンス&ドラムワークショップツアーを批判する人がいる。
「アフリカの音楽や舞踊はアフリカのものだ。俺たちは昔からおまえら白人に搾取されてきた。日本人には金も仕事もあるだろう。俺たちの仕事を取るな。」
現地ギニア人に言われたことがある。これを言われると辛いし大切な意見だと思うが、常に正しい発言だとは限らない。
実際に搾取されているかに関して言えば、多くの場合一長一短の場合が多いように思う。

先進諸国には感情論で物事を進めること、特にアフリカの場合は救うべき存在だと決めつけてしまう風潮がある。

歴史的に優越な白人種(日本人含む)と、被搾取的立場の黒人種という構図ですべてを説明づける事に引っかかる。
個人の立場でいえば、「ごめんなさい。もうしません」じゃなくて、「じゃあどうすればいい?」という提案者でありたい、彼らと関わり続ける以上はその中で一緒に模索していきたい。

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批判的内省的な意見にも納得する点が多々ある一方で、西アフリカマンデ系伝統音楽を学ぶ人達の伝統に対する関心と敬意は、その他のジャンルよりもかなり高い水準にあるようにも思う。
日本における中南米のポップスミュージシャンが、伝統を理解しているかというと、そうとは限らない。
だからといって、確立されたポップジャンルとしてのラテンミュージックにおけるプロミュージシャンが中南米伝統音楽を現地人同様に理解する必要があるのだろうか。

クラシックというジャンルがある。古典音楽という意味をもつ。
西洋の伝統的な宗教音楽や宮廷音楽から続く芸術音楽の事を指す。
それに対して、西洋以外の各民族の音楽を指した民族音楽という言葉が存在する。

言うまでもないが、地域ごと、コミュニティごとに歴史が育んだ文化があり古典芸能が存在する。
宮廷、宗教、大衆、村祭等、古典と呼ばれるものから派生する様々なスタイルが存在する。

古典と言っても、クラシックの楽曲は今でも作られ続けているし、新しい楽器も生まれて続けている。
西洋中心主義的なモノの見方が生活の隅々にある。「クラシック」という単語の持つ矛盾がそれを表す。

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これまで莫大な金額がODAでアフリカへ供与されてきた。
インフラ整備後の資源流通ルートの確保が大きな目的の一つ。

搾取的な構図を取っ払うには、アメリカ主導の市場原理主義から考えなおさなければいけない。
資本主義経済というルールの中で行われる国際競争には、国家も企業も参加している。
安いからといって購入している、ユニクロ製の服は、冷凍食品はどこから来ているのか。

資源供給量を需要量が大幅に上回る産業国は、海外の資源を買い、付加価値をつけ、先進国で販売する。
資源供給国に工場を作り、原料と作業員を現地でまかない、現地企業には外貨が入る。

資源産出各国各地の地下資源は残り10年、50年の単位で予測されている。 一時的に国は潤うが、放っておけば資源が無くなった時、国際競争力が一切ない国になってしまう。
資源の輸出量に規制をかけ始めた中国は、コンゴ(旧ザイール)にとってアメリカ・フランスに次ぐ援助国となった。
これまで搾取され続けた中国、次は中国がアフリカを搾取するのだろうか。
食品、衣類、電気製品などの生活に直結する多くの商品。企業努力の名のもとに搾取は繰り返され、同じ企業によってその一部が最貧国に寄付される。
かわいそうなアフリカ。そういった感情論のみでアフリカを語る事は、地球上を覆う複雑な問題に目をつぶることになりかねない。

矛盾だらけだといって、今全てを壊すことはできない。
これが現状最善の手段なのかもしれない。
僕らに何ができるのか考えてみたい。


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2002年初めてマリに行ってから、いろんな事をしてきた。
演奏者としていろんなところでパフォーマンスをさせてもらい、日本でもアフリカでも学び手として生活してきた。


同時に、現地アーティストのジャパンツアーを運営や、ジェンベを中心とした音楽のシーン作りに挑戦してきた。
そういった方向性の中で様々なイベントをうってきた。

2008年春からお店もやるようになった。
アフリカの素敵なところを伝える為に出来ること。
一部の愛好家だけではなくて、一般の人たちに来てもらわないと世界は広がらない。
その為の方法。
その上でどうやって儲けを出すか。
魅力を感じてもらえるようにアレンジをかけていくなら、素材であるアフリカをもっと自分のものにしなければならない。

イベントも、お店もすべてアフリカの商品化。
社会に対して自分達に何ができるのか。

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日本人なら日本人の音楽をやればいい。なぜあえてアフリカの音楽をやる?



こんな事を言うと笑われてしまうかもしれないけど、僕は地球人でありたい。
日本人がアフリカの太鼓を叩くことは一般社会から見ればちょっと不自然かもしれないけど、一昔前よりもアフリカは随分近くなった。

僕はボブ・マーリーが死んだ年に生まれた。キング牧師もマルコムXもこの世にいなかったし、JBもマイルスもフェラクティもみんなビッグスターで黒人芸術と括られるものはすでにある程度の国際的地位を得ていた。
人種差別が撤廃されたというつもりは全くないけど、特に音楽はすでに確立され消費されたムーブメントでもあった。
僕は小さな頃から神楽を見るのが大好きで、村祭の太鼓を触らせてもらったこともあるけど、中学生の頃にはマーヴィン・ゲイ、JB、ジミヘンを聴いていた。
吹奏楽部に入ってトランペット担当になってからは、ジャズの世界にあこがれた。
そんな僕がアフリカ音楽にはまった一番大きな要因は「黒人音楽に触れる環境が身近にあったから」だと思う。

僕は10代まで一般的な日本人イメージと自分の違いばかりを意識していたが、海外に出ることで自分が日本人という事を意識させられた。
日本という国がしてきたこと。自分がいま日本人としての生活を営んでいること。
芸術は国境を越えるけど、経済格差は国境で堰き止められている。日本人としての暮しのレベルは守られている。

歴史を学ぶことは大切だけど、時として概念に縛られることにつながる。
今、地球は50年前とは違う繋がり方をしている。
アフリカがどうやったら経済的に自立するのか、その答えはまだまだ分からない。

地球人が地球で音楽をするという事、それは紛れもないオリジナル。
どんな道だろうと、僕は地球人として生きて行きたいと思う。

伝統的なものだろうと、革新的なものであろうと、それはそれだけで存在できない。
僕たちはみんなで生きている。
何故自分がこの道を歩めるのかを考えたい。

理解と共生の元に多様性が生かされる。
そんな社会形成に参加したい。
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プロフィール

紅葉

Author:紅葉
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

大学時代に西アフリカを訪れ
その豊かさに大きな衝撃を受けました

おもしろいこと中毒で
好奇心に引ずられるように生きています

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

紅葉へのおたよりはこちらから!!

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