SNS gadgets and bookmarks

Clip to Evernote   Check

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アフリカと自分

アフリカ音楽とはなんなのか。
自分はどうかかわっていくのか。

世界に対するそれぞれの向き合い方。
誰にとっても共通の答えなんてないと思う。
この文章を書くことで誰かの否定をするつもりはない。

これは僕からの世界の見えかた。
アフリカを通して感じる世界。

--------------------------------------------------------
「アフリカはどんなところですか?」
「アフリカっていいですよねー」
「アフリカ人の血を感じますよね」
アフリカをひとくくりにする発言をよく耳にする。
アフリカ人なんて人種は存在しないし、そんな国はどこにもない。

大航海時代以降、世界がつながり黒人白人黄色人という概念が生まれ、黒人に対する支配的差別的な捉え方が多くの国に広まった。
(もちろん植民地主義の被害者はアフリカの人々だけではないが)
反動として黒人解放運動が起きた。アフリカ諸国でもアフリカ系アメリカ人スターは大人気だ。
「ブラック・イズ・ビューティフル」は世界的に広がった。

アフロアメリカン達は母なるアフリカ大陸へ憧れ、回帰運動を起こした。
今アフリカの青年達は、奴隷としての歴史に対して、共通した認識を持っている。
僕たち先進諸国民(と言われる人達)は貧困や野生等、アフリカに対する画一的なイメージを持っている。

そこには不理解という大きな溝が横たわる。

----------------------------------------------------------

「伝統的な…」、「伝統そのもの」は同義ではない。
僕らはトラディショナルという単語ですべてをくくってしまう為に、この二つの意味を同じ文脈で語られている事例が多すぎるのではないだろうか。

伝統芸能と商品化された音楽は違う。
多くの人がギニアンバレエスタイルを伝統音楽だというが、僕は、彼ら自身が商品化した「伝統的なエッセンスふんだんに盛り込んだ舞台芸術」だと思う。
未熟な外国人ドラマー(ダンサー)が生徒を取りクラスを行う事に問題があるという意見がある。
お金というのは需要と供給の間に動く相対評価であって絶対的基準にはならない。
程度にもよるとは思うが、自分を先生として商品化する上での在り方や説明の方が問題ではないかと思う。

生徒が、自分の先生は何者なのかをきちんと理解しているならば、学習段階であってもお金が動くこと自体は構わないと思う。教えてくれる時間とエネルギーに対して、交通費や場所代等の必要経費に対して。

それよりも、宣伝をする上で、自分がアフリカンドラマーだという付加価値をつける人のありかたに対して違和感を覚えることが多々ある。

なぜアジアンドラマーが存在しないのにアフリカンドラマーが存在するのだろう?
アフリカという曖昧な単語を使用するなら、それに対する自分なりの向き合い方を持つべきじゃないだろうか。

商品として自分に値段をつけ、不特定多数の人に広告をうつ上では、嘘は良くないし考えがないのも良くない。アフリカを売りにして演奏をすることで、その先にいるアフリカの先生たちのイメージを変えてしまう可能性もある。
自分が伝統芸能の継承者と言えるのかどうかについての考えが持てれば、継承者への敬意、過剰広告による第三者へ与える影響もうき彫りになると思う。


日本でも、アフリカのという枕詞に頼らないパフォーマンスが出来るミュージシャン(ダンサー)が増えれば、環境はもっと変わっていくかもしれない。


日本人が組むアフリカンダンス&ドラムワークショップツアーを批判する人がいる。
「アフリカの音楽や舞踊はアフリカのものだ。俺たちは昔からおまえら白人に搾取されてきた。日本人には金も仕事もあるだろう。俺たちの仕事を取るな。」
現地ギニア人に言われたことがある。これを言われると辛いし大切な意見だと思うが、常に正しい発言だとは限らない。
実際に搾取されているかに関して言えば、多くの場合一長一短の場合が多いように思う。

先進諸国には感情論で物事を進めること、特にアフリカの場合は救うべき存在だと決めつけてしまう風潮がある。

歴史的に優越な白人種(日本人含む)と、被搾取的立場の黒人種という構図ですべてを説明づける事に引っかかる。
個人の立場でいえば、「ごめんなさい。もうしません」じゃなくて、「じゃあどうすればいい?」という提案者でありたい、彼らと関わり続ける以上はその中で一緒に模索していきたい。

-------------------------------------------------------

批判的内省的な意見にも納得する点が多々ある一方で、西アフリカマンデ系伝統音楽を学ぶ人達の伝統に対する関心と敬意は、その他のジャンルよりもかなり高い水準にあるようにも思う。
日本における中南米のポップスミュージシャンが、伝統を理解しているかというと、そうとは限らない。
だからといって、確立されたポップジャンルとしてのラテンミュージックにおけるプロミュージシャンが中南米伝統音楽を現地人同様に理解する必要があるのだろうか。

クラシックというジャンルがある。古典音楽という意味をもつ。
西洋の伝統的な宗教音楽や宮廷音楽から続く芸術音楽の事を指す。
それに対して、西洋以外の各民族の音楽を指した民族音楽という言葉が存在する。

言うまでもないが、地域ごと、コミュニティごとに歴史が育んだ文化があり古典芸能が存在する。
宮廷、宗教、大衆、村祭等、古典と呼ばれるものから派生する様々なスタイルが存在する。

古典と言っても、クラシックの楽曲は今でも作られ続けているし、新しい楽器も生まれて続けている。
西洋中心主義的なモノの見方が生活の隅々にある。「クラシック」という単語の持つ矛盾がそれを表す。

-----------------------------------------------------------------

これまで莫大な金額がODAでアフリカへ供与されてきた。
インフラ整備後の資源流通ルートの確保が大きな目的の一つ。

搾取的な構図を取っ払うには、アメリカ主導の市場原理主義から考えなおさなければいけない。
資本主義経済というルールの中で行われる国際競争には、国家も企業も参加している。
安いからといって購入している、ユニクロ製の服は、冷凍食品はどこから来ているのか。

資源供給量を需要量が大幅に上回る産業国は、海外の資源を買い、付加価値をつけ、先進国で販売する。
資源供給国に工場を作り、原料と作業員を現地でまかない、現地企業には外貨が入る。

資源産出各国各地の地下資源は残り10年、50年の単位で予測されている。 一時的に国は潤うが、放っておけば資源が無くなった時、国際競争力が一切ない国になってしまう。
資源の輸出量に規制をかけ始めた中国は、コンゴ(旧ザイール)にとってアメリカ・フランスに次ぐ援助国となった。
これまで搾取され続けた中国、次は中国がアフリカを搾取するのだろうか。
食品、衣類、電気製品などの生活に直結する多くの商品。企業努力の名のもとに搾取は繰り返され、同じ企業によってその一部が最貧国に寄付される。
かわいそうなアフリカ。そういった感情論のみでアフリカを語る事は、地球上を覆う複雑な問題に目をつぶることになりかねない。

矛盾だらけだといって、今全てを壊すことはできない。
これが現状最善の手段なのかもしれない。
僕らに何ができるのか考えてみたい。


---------------------------------------------------------

2002年初めてマリに行ってから、いろんな事をしてきた。
演奏者としていろんなところでパフォーマンスをさせてもらい、日本でもアフリカでも学び手として生活してきた。


同時に、現地アーティストのジャパンツアーを運営や、ジェンベを中心とした音楽のシーン作りに挑戦してきた。
そういった方向性の中で様々なイベントをうってきた。

2008年春からお店もやるようになった。
アフリカの素敵なところを伝える為に出来ること。
一部の愛好家だけではなくて、一般の人たちに来てもらわないと世界は広がらない。
その為の方法。
その上でどうやって儲けを出すか。
魅力を感じてもらえるようにアレンジをかけていくなら、素材であるアフリカをもっと自分のものにしなければならない。

イベントも、お店もすべてアフリカの商品化。
社会に対して自分達に何ができるのか。

---------------------------------------------------------
日本人なら日本人の音楽をやればいい。なぜあえてアフリカの音楽をやる?



こんな事を言うと笑われてしまうかもしれないけど、僕は地球人でありたい。
日本人がアフリカの太鼓を叩くことは一般社会から見ればちょっと不自然かもしれないけど、一昔前よりもアフリカは随分近くなった。

僕はボブ・マーリーが死んだ年に生まれた。キング牧師もマルコムXもこの世にいなかったし、JBもマイルスもフェラクティもみんなビッグスターで黒人芸術と括られるものはすでにある程度の国際的地位を得ていた。
人種差別が撤廃されたというつもりは全くないけど、特に音楽はすでに確立され消費されたムーブメントでもあった。
僕は小さな頃から神楽を見るのが大好きで、村祭の太鼓を触らせてもらったこともあるけど、中学生の頃にはマーヴィン・ゲイ、JB、ジミヘンを聴いていた。
吹奏楽部に入ってトランペット担当になってからは、ジャズの世界にあこがれた。
そんな僕がアフリカ音楽にはまった一番大きな要因は「黒人音楽に触れる環境が身近にあったから」だと思う。

僕は10代まで一般的な日本人イメージと自分の違いばかりを意識していたが、海外に出ることで自分が日本人という事を意識させられた。
日本という国がしてきたこと。自分がいま日本人としての生活を営んでいること。
芸術は国境を越えるけど、経済格差は国境で堰き止められている。日本人としての暮しのレベルは守られている。

歴史を学ぶことは大切だけど、時として概念に縛られることにつながる。
今、地球は50年前とは違う繋がり方をしている。
アフリカがどうやったら経済的に自立するのか、その答えはまだまだ分からない。

地球人が地球で音楽をするという事、それは紛れもないオリジナル。
どんな道だろうと、僕は地球人として生きて行きたいと思う。

伝統的なものだろうと、革新的なものであろうと、それはそれだけで存在できない。
僕たちはみんなで生きている。
何故自分がこの道を歩めるのかを考えたい。

理解と共生の元に多様性が生かされる。
そんな社会形成に参加したい。
関連記事

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

大航海時代 PS3

「大航海時代 PS3」に関連するブログを新着 10 件表示しています。

コメントの投稿

Private :

twitter
click please!! mixi イイネ!ボタン
カテゴリ展開メニュー
  • 紅葉のボヤキ(120)
  • 今日のあれこれ(5)
  • アフリカンイベント情報(66)
  • 旧BAOBABブログ(23)
  • 地球(7)
  • 音楽(13)
プロフィール

紅葉

Author:紅葉
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

大学時代に西アフリカを訪れ
その豊かさに大きな衝撃を受けました

おもしろいこと中毒で
好奇心に引ずられるように生きています

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

紅葉へのおたよりはこちらから!!

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
FC2カウンター
RSSフィード
最近のトラックバック
このページのトップへ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。