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ジェンベ・ディスコグラフィ エリック・シャリー編 Jembe Discography COMPILED BY ERIC CHARRY  日本語訳

もみじです。

ERIC CHARRY氏の著作『Jembe Discography』を四国学院大学の神野先生が日本語に翻訳にされていました。
とっても興味深い文献ですので、お願いして転載させてもらいます。

ジェンベに関しては、いろんな説を聞きますがこれはかなり客観的かつ貴重なものだと思います。
ジェンベや西アフリカの音楽に興味がある方は、是非読んでみてください。

☆以下転載です☆
********************************************************
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http://www.wesleyan.edu/~echarry/jembearticle/article.html
A Guide to the Jembe
エリック・シャリー Eric Charry(http://echarry.web.wesleyan.edu/bio.html ウェズリアン大学助教授 音楽学科学科長、 “Mande Music―traditional and modern music of the Maninka and Mandinka of Western Africa”, 2000 The University of Chicago Press↓ の著者 )
http://echarry.web.wesleyan.edu/Mandemusic.html

ジェンベ(Jembe:フランス語ではdjembeと綴る)は、今日打楽器として世界的な地位を達成しつつある。人気の点で匹敵するのはコンガとスティールパンのみである。西アフリカの外に最初の衝撃を与えたのは1950年代ギニアのフォディバ・ケイタ率いるアフリカ舞踏団(Les Ballets Africains)の世界ツアーであった。この最初のデビューから2,30年の間、ジェンベは、国際的にはごく少数のミュージシャンとアフリカ音楽とダンスの信奉者に知られるのみであった。合衆国でのジェンベへの関心は、50年代のアフリカ舞踏団メンバーであるラジ・カマラが、60年代以来アメリカ人のジェンベ奏者を育成したことから始まる。世界的には、1980年代半ばまでほんの一握りのLP録音が発表されていたにすぎない。そのほとんどは、ジェンベ演奏をすこしばかり含む程度のものだった。

 1980年代後半からジェンベへの国際的関心はかつてない転換をとげた。ジェンベアンサンブル専門に収録したCDが10数枚発売され、他の楽器と混合のアンサンブルにジェンベを配した録音も同じくらい発表された。ギニア、マリ、セネガルの国立舞踏団の度重なるツアーと、それらの舞踏団出身のドラマーの演奏にますます多くの観客が集まるようになった。ジェンベの教師たちの数も増えアフリカへの研修旅行を企画するものも現れ、メジャーなドラム製造会社も最近は工業的に生産されるジェンベの市場を見出した。

 ジェンベの国際的影響が遅れたことにはいくつかの理由がある。ジェンベのふるさとである旧フランス領植民地と合衆国との間のつながりの弱さと言語の相違は、フランス語圏西アフリカから合衆国への移民が相当な数になることの遅れた主要な原因である。25年にわたり芸術を強力に保護し、また抑圧を強め、国際的な疎外を深めていたギニアの初代大統領セク・トゥーレが、1984年に死去し、それによって、外国人への門戸が開かれ、またギニア人の間では、それまでの保護を失って生じた空白を埋めようと、国外に目を向け始めた。セク・トゥーレ時代が終わってまもなくギニア人のドラマーであるママディ・ケイタとファムドゥ・コナテはヨーロッパに活動の本拠を移した。アフリカ舞踏団(Les Ballets Africains)は1958年のギニア独立以後ギニア国立舞踏団となり、ヨーロッパのレコード会社を通じてCDを発表し始めた。1965年に第2の国立舞踏団として設立されたバレ・ジョリバ(Les Ballets Djoliba)から主として選抜されたドラマー集団がペルキュシオン・ドゥ・ギネ(Percussions de Guinee:1988年国立アンサンブルとして設立)としてツアーを開始し、やはりヨーロッパのレーベルからCDを発表し始めた。元ポリスのドラマー、スチュワート・コープランドと回った最近のツアーも彼らの名声を増した。1980年代後半に始まり、いまも衰えを見せないワールド・ミュージックのブームもまた重要な要因である。イギリスのWOMAD(http://www.womad.org/)のような組織が、ギニア出身のFatala、ブルキナ・ファソのFarafina(http://www.farafina.ch/en/index.html)のようなジェンベ中心のグループを含むツアーを続けている。

ジェンベへの大衆的関心があるにもかかわらず、それが祖国のアフリカでどのように使われているかに関する真剣な情報は不足している。この楽器に関する誤解にはことかかない。誰がどんな場合にその楽器を演奏するのかとか、どんな国でどんなアンサンブルで、といった基本的問題もアフリカの外ではきちんと理解されていない。ジェンベが繁栄している環境においてそれがどのように機能しているかを見るために、アフリカ生まれでないジェンベ奏者がアフリカに長期滞在したという例も少ない。アフリカの外に在住するアフリカ人のジェンベ教師たちは、外国の生徒たちに、この楽器の奥深さを伝えようと最善を尽くしているが、その際、外国文化を理解するという古典的な問題以外に、もう1つより基本的な問題がある。それは言語である。

 西アフリカのジェンベ奏者にとって、英語は大抵4、5番目、時には6番目の言語である。母語(マニンカ、スス、バマナなど)、第二言語(フラ、ウォロフ、ソニンケ、ボボなど)そして第3または第4のアフリカの言語の次にフランス語、英語はその次なのである。アフリカのリズムについての概念にはヨーロッパの言語にないものがあり、さらにはアフリカ社会での経験や割礼などの儀式のために演奏することの意味など、説明が困難である。(訳注:アフリカの諸言語の地方名、フランス語名、英語名等については、次のサイトを参照せよ。→エスノローグ.コムのアフリカ国別言語一覧(http://www.ethnologue.com/country_index.asp?place=Africa

単語の綴りさえも、混乱の原因となる。アフリカの言語のほとんどは文字をもっていなかったので、ヨーロッパの筆記法が適用されてきた。英語のjの音は西アフリカのフランス語ではdjあるいはdi,dyと書く。英語の長音のuはフランス語ではouとなる。アフリカの言語を知らない人たちがフランス語の綴りにヨーロッパやアメリカのアクセントをつけて発音するとなると、さらにいっそうアフリカの言葉の元の発音をめちゃめちゃにしてしまうこともある。フランス語でmandiani(マンジャーニ)と綴られるリズムは、英語の話し手によって、マンディアーニと誤って発音されることがある。フランス語の綴りであるdjembeは、言葉の綴りというような単純なことがらに含まれている植民地支配の遺産というものに気付くことなく、広く受け入れられているのである。それはフランスの楽器ではなくアフリカの楽器なのに、である。アフリカ人も非アフリカ人も同様に、バマナ語やマニンカ語を書き表すのに、植民地時代を思い起こさせる装飾的なフランス語表記法でななく、表音表記法を採用してきた。Djembeやmandiani、Doundounbaのようなフランス語綴りからjembe, manjani, Dundunbaという表記への簡素化は、上のような問題への対処であるとともに、アフリカ的な発音を広めるためでもある。

 アフリカ出身のジェンベ教師たちが克服しなければならない問題は、言語以外にも存在する。アフリカ的な学習方法は――見て、やってみて、批判を受け、やりなおし、見習い年季奉公に出るといったものであるが、ジェンベ奏者がダンサーと一対一でどのように掛け合いをするかを見るチャンスもほとんどない学生たちに、週に1,2回の練習や教室で、一体そういったやり方ができるだろうか?アフリカ人のジェンベ教師たちは、非アフリカ人の学生たちに自分たちの知識を伝える新しい方法を創造してこなければならなかったのである。その結果、自分たちが育てられた伝統が歪められ、希釈されることもしばしばなのである。流動的なリズムが単純化され固定化される。即興演奏は最小限に抑えられる。ダンサーによって生み出される熱気に結びついたテンポの満ち引きや流動性は弱められてしまう。そのようなリズムとダンスが演じられる元来の文脈が失われるのである。

 村の伝統を新しい文脈に適応させるということは、ジェンベ奏者にとっては、かつて経験しなかったことである。政治的独立の後に国立舞踏団を創設した背後にある考えの一つは、民族固有の太鼓とダンスを国際的な観衆の前に提示しようということであった。村のダンスの輪は壊わされ、座席に座った非参加型観衆が見れるように一列に伸ばされたのである。

 村の文脈では起こりえない、遠く離れた地方の複数のリズムが結合され、一つの国の中にある多様性に富んだ音楽とダンスを示すために舞踏団のパフォーマンスの長いプログラムの中で、矢継ぎ早に演奏されるのである。めったに一緒に演奏されないいくつかの楽器が国立アンサンブルにおいては合奏される。このような総合の背後にある勢力はたいていの場合、ヨーロッパの教育と文化にふれた人々の力である。Ballets, Ensembles, Orchestresのような地方や国立のグループのネーミング自体がヨーロッパ的影響を反映している。アンサンブルや舞踏団のリーダーの任務は音楽とダンスの伝統のアフリカ的エッセンスを保持しながら、同時にそれらを舞台に載せる形にするということである。このプロセスにおいて新しいジャンルが生み出される。

 ごく最近では、ママディ・ケイタとペルキュシオン・ド・ギネのコンサートと録音などに見られるジェンベ演奏のもう一つの新しいジャンルが、バレ・スタイルから生まれている。それはダンサーをほとんど最小限にすることによりジェンベ演奏から村のルーツを取り去ったのである。焦点は(ダンサーから)アンサンブルの構成とソリストのカリスマ性と名人芸に移っている。このようなジェンベの使用はアフリカ人の間に、またドラマー自身の間でさえ、複雑な感情をかきたてるにちがいない。アフリカの太鼓が現代の産業化された社会に来襲しているという考えは、アフリカの深い文化遺産の国際的承認を求める人々にとって一定のアピールを持つにちがいない。他方、神聖な伝統が低劣化するかもしれないという可能性は、移り気なアメリカの公衆の間でつかの間の商業的成功を得るためには、あまりにも高い代償である。村のリズムがまちがって演奏されるのを聞いたときにアフリカ人教師たちが示す不満はワークショップにおいてより顕著になりつつある。

 であるならば、どのようにジェンベを学んでいけばいいのだろうか?伝統を学ぶためにアフリカに行くーーファーストハンドの確かに望ましい方法だがーー代わりに、アメリカやヨーロッパに移住しているかあるいは相当な時間をすごしているアフリカ人のジェンベ・マスターたちから学ぶことができる。そのようなマスター・ドラマーの数は増加している。CD録音のある少数をあげれば、尊敬すべきラジ・カマラ(ニューヨーク)、ジモ・クヤテ(ワシントンD.C.)、アブドゥル・ドゥンビア(プロビデンス、ロードアイランド)、ママディ・ケイタ(ブリュッセル)、アダマ・ドラメ(フランス)、アラファン・トゥーレ(オランダ)、ファムドゥ・コナテ(ベルリン)らである。ジェンベのサマーキャンプやワークショップはアメリカ全土で盛んに開かれているし、需要のあるところには、若い世代のアフリカ人ジェンベ教師が移り住んでくる。インタネット上では数百名のジェンベ愛好者らがメーリングリストを開いていて、ワークショップや教師にかんするよい情報源となっている。(関心のある人で、インタネットアクセスのできる場合は、オンラインで購読できる。http://www.sherouse.gwsherouse.com/jembe-listfaq/

 ジェンベとその生まれた環境に関する書物はきわめて少ない。しかしその状況は、現在の突風的なレコーディングの活況を受けて、きっと変化していくだろう。これまでに著された少数の書物については、それぞれ、正しく見るには批判的な観点が必要である。ある書物(ジャロ&ホール、1989)は、マリのマニアンカ人によるもので、マンデ音楽の中核地域の周辺部にあたる。また別の自伝的書物(ドラメ&センーボルロズ、1992)は、まだ英語に翻訳されていないが、ブルキナ・ファソとコートジボアールの伝統に関する報告で、これもマリとギニアの伝統の中心部からは離れている。これらの共著者はともに音楽学の経験がほとんどないので、その観点は欠落している。セネガルの太鼓演奏の伝統―実際はギニアの伝統の変容であるがーアメリカにおける変容というテーマでは、マーク・サンケット(1995)の論文がある。ファムドゥ・コナテのCD(1991)に付属の小冊子は、彼の弟子であるヨハネス・ビーアが執筆しているが、ジェンベのリズムについての音楽学的導入を提供している。それは、アダマ・ドラメの弟子によるフランス語の書物(ブラン、1993)でも同様である。ベイルート大学のライナー・ポラックは、バマコでの調査をふまえた音楽学の修士論文を作成中であるが、過去20年間ガーナの太鼓演奏については標準的となってきた詳細なリズム分析のような成果が、ジェンベ演奏についても期待できるであろう。
ジェンベ文献集(http://echarry.web.wesleyan.edu/jembearticle/jembebib.html) 
Jembe Bibliography
COMPILED BY ERIC CHARRY
Blanc, Serge
1993 Percussions Africaines: Le Tambour Jembe. With accompanying CD.
Editions Maurice Sonjon.
Browning, Robert
1995 "Djembefola", Rhythm Music Magazine 4(9): 21-24.
Diallo, Yaya and Mitchell Hall
1989 The Healing Drum: African Wisdom Teachings.
Rochester, VT: Destiny Books.
Drame, Adama and Arlette Senn-Borloz
1992 Jeliya, etre griot et musicien aujourd'hui.
Paris: Editions L'Harmattan.
Goldman, Erik
1995 "Papa Ladji Camara's Manifest Destiny",
Rhythm Music Magazine 4(9):18-20.
Johnson, John William
1986 The Epic of Son-Jara: A West African Tradition.
Bloomington: Indiana University Press.
Laye, Camara (Laye Camara)
1954 The Dark Child. Translated by James Kirkup and Ernest Jones.
New York: Farrar, Straus & Giroux. Originally published as
L'enfant noir, 1953.
1980 The Guardian of the Word. Translated by James Kirkup.
Great Britain: Fontana. Originally published as
Le Maitre de la Parole, 1978.
Niane, Djibril Tamsir
1965 Sundiata, an epic of old Mali. Translated by G. D. Pickett.
Essex: Longman. Originally published as
Soundjata, ou l'epopee mandingue, 1960.
Sunkett, Mark
1995 Mandiani Drum and Dance: Djimbe Performance and Black
Aesthetics from Africa to the New World.
Tempe, AZ: White Cliffs Media.

 現在ではCD録音は、ジェンベ演奏についてひろく教育を得ようとする人々にとってきわめて重要な情報源である。幸いなことにこの楽器のマスターたちによる世界的なレベルのCD録音が豊富に存在する。それらは、無関心なリスナーには気付かれないかもしれないが、民族的、地域的、個人的スタイルの多様性を反映している。CD録音を評価する上で大切な要因は、どの国のものであるか、リーダーの民族的地域的つながり、そして録音状況つまり、アフリカでの伝統儀式でのものか、スタジオ録音か、といったことである。ジェンベについての背景情報も、読者がこれからますます増加していくであろう商業的に利用できる多様で優れたCD録音をよりよく評価する助けとなるだろう。
 Jembe discography and videography ジェンベ・ディスコグラフィ エリック・シャリー編
Jembe Discography COMPILED BY ERIC CHARRY
MALI
Coulibaly, Soungalo
1992 Percussion and Songs from Mali. Arion, ARN-64192/Melodie, 09265.
Diallo, Yaya
1994 The Healing Drum: African Ceremonial and Ritual Music.
Destiny Recordings.
Doumbia, Abdoul
1995 Abdoul Doumbia. AKD 95. Telephone: (401) 521-3624.
Dumbia, Yamadu
1994 Festmusik aus Mali. Rainer Polak, Oswald-Merz-Strasse 10,
95444 Bayreuth, Germany.
Kante, Mamadou
1994 Les Tambours du Mali/Drums from Mali. Playa Sound, PLS 65132.
Rhythms of Mali
1995 Drums of Mali: Baco Djicorni. Djenne, DJCD 1001. Dist. by Stern's.
Troupe Folklorique Malienne
n.d. African Rhythms and Instruments, vol. 1. Recorded at the Premiere
festival Panafricaine, Algiers, 1969. Lyrichord, LYRCD 7328.

GUINEA
Africa Djole with Fode Youla
1980 Kaloum. Free Music Production, FMP/SAJ-26.
n.d.a. Live: The Concert in Berlin '78. Free Music Production, FMP CD 1.
n.d.b. Basikolo-Ne-Ne. Recorded 1984. Free Music Production, FMP CD 44.
Les Ballets Africains
1991 Les Ballets Africains. Doundoumba, DDB 40001; Buda, 82513-2.
1994 Les Ballets Africains: Silo. Buda, 92579-2.
1996 Les Ballets Africains: Heritage. Doundoumba, 92634-2.
Camara, Ladji
n.d.a. Africa, New York. Recorded in 1975. Lyrichord, LYRCD 7345.
n.d.b. Les ballets africains de Papa Ladji Camara. Lyrichord, LYRCD 7419.
Fatala
1988 Gongoma times. Issued in 1993 by Realworld/Caroline, CAROL 2331-2.
Keita, Mamady
1989 Wassolon. Fonti Musicali, FMD 159.
1992 Nankama. Fonti Musicali, FMD 195.
1995 Mogobalu. Fonti Musicali, FMD 205.
Konate, Famoudou
1991 Rhythmen der Malinke. Museum fur Volkerkunde Berlin, CD 18.
Stauffenbergstrasse 42, D-10785 Berlin. Fax: 49-30-266-29-85.
Master of the Forest
1992 Master of the Forest: Mystique d'Afrique. African Percussion.
Telephone: (818) 591-3111.
Percussions de Guinee (Percussionists of Guinea)
1990 Percussions de Guinee. Buda, 82501-2.
1994 Percussions de Guinee, vol. 2. Buda, 92586-2.
Unidentified drummers from Karala
1952 Music of Occidental Africa: Music of the Baule,
Music of the Malinke. Counterpoint CPT-529, Esoteric ES-529
(1956). Reissued in 1993 on CD along with other material as
African Tribal Music and Dances on Laserlight Digital, 12179.
1972 Musique Malinke. Recorded by Gilbert Rouget in 1952.
Vogue LDM 30113.
Unidentified drummers from Koumana and Mandiana
1992 Recits et epopees. Ocora, C 560009.
Wassa
1991 Songs and Rhythms from the Coastal Region of Guinea.
Buda, 92518-2.
Wofa
1995 Rhythms and Songs from the Coastal Region of Guinea.
Buda, 92624-2.

BURKINA FASO
Farafina
1993 Faso Denou. Realworld/Caroline, CAROL 2328-2.
Les Freres Coulibaly
1993 Anka Dia. Auvidis, B6775.
Koko du Burkina Faso
1993 Balafons & tambours d'Afrique, vol. 2. Playa Sound, PS 65101.
Ouedraogo, Amidou & Faso Tile
n.d. Lamogoya Cole Bobo. Koch International, 322415.
Unidentified drummers from Bobo Dioulasso
1990? Balafons, percussions, chanteurs de Bobo Dioulasso. Buda, 82481-2.

IVORY COAST (Cote d'Ivoire)
Drame, Adama
1979 Rhythms of the Manding: Adama Drame (jembe). Recorded 1976-78.
Phillips, Unesco collection 6586 042.
Also issued in 1984 as Grem, DSM 042.
1986 Djeli. Auvidis, B5519.
1987 Grands maitres de la percussion: tambour djembe. Auvidis, B6126.
1992 Percussions Mandingues/Mandingo Drums. Playa Sound, PS 65085.
Reissue of Playa Sound, PS 33525.
1992 Marc Vella & Adama Drame: Continents.
Label Bleu, LBLC 2504/Harmonia Mundi, HM 83.
1994 Percussions Mandingues/Mandingo Drums, vol. 2: Foliba.
Playa Sound, PS 65122.
1995 Autres contacts. With Les Percussions de Strasbourg.
Harmonia Mundi/L'empreinte digitale, ED 13043.
Unidentified Senufo drummers
1987 Musik der Senufo. Museum fur Volkerkunde Berlin, MC 4.

SENEGAL
Kouyate, Djimo
1992 Yankadi: Manding Drum Rhythms. Djimo Kouyate & Memory
of African Culture. P.O. Box 50042, Washington, D.C. 20091.
Orchestre Africa Djembe
1992 The Drums of Goree. Playa Sound, PS 65104.
Mandiani Drum and Dance
1994 Mandiani Drum and Dance. White Cliffs Media, WCM-9326.

Popular Music featuring the Jembe (selected examples)
MALI
Diakite, Djeneba
1993 Piraterie. Cobalt/Melodie, 09265-2.
Keita, Salif
1994 The Mansa of Mali...A Retrospective. Mango, 162-539-937-2.
Sangare, Oumou
1993 Ko Sira. World Circuit, WCD 036.

GUINEA
Camara, Aboubacar
199? Baba Moussa. Bolibana, BIP 93.
Dioubate, Oumou
1993 Lancey. Stern's, STCD 1046.
Les Nyamakalas du Fouta Djallon
1992 Guinee: Les Nyamakalas du Fouta Djallon. Buda, 92530-2.
Soumah, Momo "Wandel"
1991 Matchowe. Buda, 82814-2.
Soumano, Sabre
199? Moussolou. Bolibana, BIP 108.

SENEGAL
Ndour, Youssou
1989 The Lion. Virgin, 7 91253-2.
[訳者注:上記ディスコグラフィは1995年までのもので、その後大量のジェンベのCDが発行されている。著者は2000年刊の著書で、新しいリストを掲載しているので、他の資料も参照して本資料の別紙として、いずれ最新リストを作成する。]


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どうみても、ジェンベの中心的伝統はマリとギニアから来ており、マニンカ/ススに起源があるように思われる。マニンカの故郷はマンデと呼ばれ、だいたいギニアのカンカンとマリのバマコの間に位置している。「マニンカ」は、マンデの人を意味する「マンデ・ンカ」の現地発音である。(「マリ」は、マンデという語の変形であり、「マリンケ」はマニンカと同義である。)「スス」という語は、歴史的な意味ではマリの最北部からやってきたとされるマニンカ人の近縁の民族を指すことができる。この文脈では、普通「ソソ」と呼ばれる。13世紀におけるスンジャタとその同盟軍に対する彼らの敗北の後、スス人の諸集団は、ギニアの海岸部へと移動し、その過程で、周辺の人々からの影響を吸収した。ススの現代的用法では、この海岸部に移住した人々を指す(Wassa,Wofaの録音を参照)。ジェンベはまた、隣接するセネガル、コートジボアール、ブルキナ・ファソにも移出し、重要な役割を果たしている。

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地図:西アフリカのジェンベの中核地域と周辺諸国(エリック・シャリー作成)地名はイタリック体(国名は大文字)。マンデ民族の諸集団は非イタリック体で大文字、マンデ民族以外の諸集団は、語頭大文字で、非イタリック体で示してある。

 ジェンベの起源について広く行き渡っている通説があるわけではないが、マニンカ/スス人に起源を持つヌムnumuとして知られる世襲制の職業階級である鍛冶師と関係しているということに大体の了解があることは確かである。鉄器の供給者として鍛冶師はかつて、そして現在もなお、ある種の力の守護者である。鍛冶師の手が作るその力がこめられたコモKomoという仮面は、かれらの秘密結社の紋章であり、また鍛冶師は少年・少女が成人の仲間入りをするときに危険なエネルギーを取り除く意味のある割礼の儀式を執り行い、またそうした儀式で演奏するジェンベの胴を木から掘り出すのである。ジェンベが西アフリカに広く分布していることは、紀元1000年以前にさかのぼる鍛冶師たちの各地への移民によるものであろう。鍛冶師の一家であるカマラ家、ドゥンビア家、カンテ家は、13世紀初めにおけるスンジャタ・ケイタによるマリ(マンデ)帝国統一の叙事詩であるスンジャタ物語の重要な部分である。広く伝えられている口承伝統によると、カマラ家とドゥンビア家の家族はスンジャタの盟友であり、ススの暴君であったスマングル・カンテを打ち破るのを助けたのである。マニンカの文化史であり、マリ帝国の統一に主要な家族が果たした役割を説明する英雄叙事詩スンジャタ物語のテキストとして、お勧めは、ニャネNiane(1965)、ライェLaye(1980)、ジョンソンJohnson(1986)などである。カマラ・ライェCamara Laye(1954)はまた、上部ギネにおける鍛冶師の息子としての子供時代をふんだんに描いた重要な自伝的作品を書いている。

 ジェンベと鍛冶師との関連にもかかわらず、だれがジェンベを演奏できるかについての世襲的制限はまったくないように見える。実際、鍛冶師たちが音楽活動に関わるのは、音楽を職業とする別の世襲職人階級が存在するので、並大抵なことではない。マニンカ人の間ではそれはジェリ(語り部)Jeli―フランス語でグリオgriots―として知られている。彼らには専用の楽器が3つあり、コラkora(21絃のハープ)バラbala, またはバラフォン balafon(木琴)、コニkoni, またはゴニngoni(4絃または5絃のリュート)がそれである。

 ジェリがジェンベを演奏するのことはあまりない。おそらくジェンベは自分たちの楽器ではないという認識があるからだろう。マリ北西部のハソンケ人の社会では、ジェリだけがドゥンドゥンdundunの演奏が許されている。ドゥンドゥンはジェンベ演奏の伴奏となる大型両面のベースドラムである。ハソンケのドゥンドゥンは、ジェリ・ドゥンドゥンとも呼ばれ、ベルの演奏方法――左手で高く掲げ左手の親指にはめた大きなリングで叩く(写真参照)ーーが独特なことで知られている。他の地域ではドゥンドゥンの演奏に世襲的制限はない。マリでは普通のドゥンドゥンはベルなしで演奏(ママドゥ・カンテ1994が一例)されるが、ギニアでは、ベルは普通はドゥンドゥンに付属している。

【写真中】説明:マリ国立舞踏団の創設メンバーであるセラン・カヌテとその息子のアブドゥライェがハソンケ・ドゥンドゥンを演奏する。バマコ、1990

 鍛冶師に関係深い姓があるように、ジェリと関係深い姓があり、もっとも有名なのが、クヤテ家Kouyateとジャバテ家Diabateである。またホロンhoronという、貴族の非職人階級の姓がある。ケイタ家Keita、コナテ家Konate、コネ家Kone、トラオレ家Traoreなどである。ホロン階級のメンバーは、マニンカ社会のかつての戦士、支配者、首長であった。西アフリカにおいて姓名は民族的・階級的出自の信頼できる指標となることが多い。ただし、西アフリカ社会の高い流動性を考慮するなら、一般化する場合には注意が必要である。しかしながら、ジェンベ奏者の圧倒的多数がマニンカまたはススの名前であり、多くはさらに、カマラ、ドゥンビア、カンテなど鍛冶師の家系である。他のジェンベ奏者の名前のほとんどは、ケイタ、コナテなどマニンカのホロン階級の家系である。ジェリ起源の姓を持つものは非常に少ない。マンデ文化の中核地域ではジェリはジェンベは自分たちの楽器ではないと認識しているが、離れた地域ではこの伝統は変容していることもある。アダマ・ドラメが、ブルキナ・ファソではジェンベはジェリの楽器だといっているように。

 ジェンベのレパートリーは多くの異なる資源から集められている。マニンカ人の中核的リズムとダンスであるドゥンドゥンバDundunba(最も広く録音されているジェンベのリズムのひとつ)から、ソリSoli(ギニアのマニンカ人)、ダンサDansa(マリのハソンケ人)、スヌSunu(マリのバマナ人)など、地域的特色のあるダンスまで広範囲にわたっている。他にもジェンベで演奏されるリズムには、同じ国の中で隣接する民族によって他の種類の太鼓で演奏されるリズムを取り入れたものも多い。たとえばククKukuは、ギニア南部の森林地帯に起源があり、ギニアではポピュラーだが、マリでは重視されていない。

 国別に特徴を持つ演奏スタイルとレパートリーの発展は、ヨーロッパ列強が引いた恣意的な国境線がもたらした近代的現象である。これはとくにマニンカ人において顕著である。彼らの故郷であるマンデ地域はマリ側とギニア側とに分割されている。マリのマニンカ人のドラマーたちは北方に向かい首都の街バマコで、さらに北のサバンナ地域やサヘル地域[訳注:北でサハラ砂漠に接する一帯、またはサハラ砂漠の南縁地域]からやってくるリズムと出会うのである。彼らの故郷の伝統リズムでないときに、彼らはこうしたリズムを、単にそれらが由来する民族名で名前をつけ分類している。たとえば、バマナBamana、ワスルWasulu(ワソロンWasolon)、マラカMaraka、サラコレSarakole、ドゴンDogon、プルPeulhのように(Abdoul Doumbia, Yamadu Doumbia, Mamadou Kanteらによるマリでの録音を参照せよ)。同じ現象はギニアでも起こっている。ギニアではマニンケ人のドラマーたちは、南東に向かい、首都のコナクリで、バガBaga、トマToma、マネMane、テムネTemne、ゲルゼGuerzeといった諸民族に属する、森林地帯や海岸部から来たリズムを演奏することになる。マニンカ起源でないリズムの演奏スタイルとレパートリーへの影響は、国別に特徴を持つ演奏スタイルとレパートリーの発展をもたらしたおそらく最大の要因であろう。

 村の演奏スタイル(Village drumming)と舞踏団スタイル(ballet drumming)の根本的な違いは、アフリカの外ではほとんど理解されていない。まず村での実際の演奏の録音が非常に少ないこと、さらにそうしたライブイベントが見られるとしてもそれは、ツアー中の舞踏団のメンバーかその一部によって提供されるしかないからである。しかしながら、この違いは、ジェンベ演奏を理解するうえで決定的に重要であり、ネイティブでないジェンベ奏者によって自分たちの音楽が文脈から切り離されることにたいする、アフリカ人のフラストレーションの核心にある問題である。ジェンベとダンスの一つ一つのリズムには、その目的と時間と場所があるのである。あるグループに属する人々を褒め称えるリズムもある。ジェリ・ドンJeli don(語り部たち)、ウォロソ・ドンWoloso don(奴隷階級)、ドゥンドゥンバDundunba(強い男たち)などである(マニンケ語でdonはダンスの意)。また、特別な社会的機会に結びついているリズムもある。ソリSoliは割礼式のリズムであり、カッサKassaは畑を耕すときの伴奏である。舞踏団やコンサートのジェンベ奏者たちはすべて村の伝統の中で育ち、それを経験しているのである。村の伝統における訓練をとばすことはまれである。

写真右:結婚式でジェンベを演奏するドリッサ・コネ、バマコ、1990

 村での太鼓演奏のイベントは(街でも起こりうる)ふつう何時間も続き、その間、ドラマーとダンサーは2,3のリズムに集中する。その場に居合わせる人全員がイベントのどこかで踊ることになる。1人、または2,3人でドラマーに近づき、踊りで楽しく挑戦するのである。ドラマーにとってもっとも重要なことに、イベントには潮の満ち干と波があるということ、それは、痛烈なテンポで熱狂的に踊るときと、ゲストの歌うゆっくりとした休息のときに一致する。ゲストの歌い手はジェリムソJelimuso(女性のジェリ)であることが多く、人々はその歌声に息を呑むのである。そのようなイベントの一部を捉えた優れた録音がいくつかある。コナクリ録音のファムドゥ・コナテFamoudou Konate(1991)、ブアケ録音のアダマ・ドラメAdama Drame(1994)、バマコ録音のヤマドゥ・ドゥンビアYamadou Dumbia(1994)によるものである。これらの録音では、テンポのアップしたソロが続いた後、ダンサーを退場させるための標準的なリズムパタンで終わるという、ダンスをリードするドラミングを聞くことができる。

 村の太鼓とダンスのスタイルとは対照的に、地域あるいは国立の舞踏団のスタイルは高度に演出されており、多くのダンサーが一致した動きを見せる。フォデバ・ケイタFodeba Keitaのようなパイオニア的演出家たちは、非参加的な観客が、単一のリズムに合わせたダンスが延々と続くのを見るのにあきるという問題を解決するのに、いろんなリズムとダンスを速射的に連続して交互に見せるという演出を導入した。レ・バレ・アフリケインLes Ballets Africains(1991)のヴィデオやそのCDサウンドトラック(1991)は、この考え方を生き生きと示している。そのCDのトータル1時間足らずのパフォーマンスのジャケットには、30以上ものリズムとダンスの名前のリストがのっているのである。1分たらずしか演奏されていないリズムもあれば、ドゥンドゥンバのようにひとつでほぼ10分間演じられているものもあり、その重要性を再確認できる。それらのリズムは国中から集められ、たとえそれが村の文脈では他の楽器によって演奏されるものでも、ジェンベ中心のアンサンブル用に編曲されるのである。そのような演奏に関する考え方は、相当な集団的忍耐を要求するものである。自発性において失われるものは、構成的独創性において補われているというのである。ポリリズムセクションに絡みながら、アンサンブル全体がユニゾンの節々を演奏する。優れた映画であるジェンベフォラDjembefolaに見られるように、ママディ・ケイタのジョリバ・バレDjoliba Balletとの里帰り公演は、そのような構成的工夫の好例であり、それらは村の演奏では見られなかったものである。

 ジェンベ教室の大多数の生徒たちが抱いている印象や、ある1つのリズムについて出回っている多くのアカンパニマンのパタンにもかかわらず、アフリカにおけるジェンベアンサンブルは小編成であり、したがってアカンパニマンのパタンの数も限られている。CD録音は、多重録音なしのソロジェンベ(アダマ・ドラメAdama Drame1987)、ドゥンドゥン1つを伴ったソロジェンベ(ラジ・カマラLadji Camara 発行年不明)から、4~5人のジェンベ奏者のによるアンサンブル(Percussion de Guinee, Les Ballets Africains)まで幅広くある。最小限のアンサンブルには、アカンパニマンのジェンベ1台、リード・ジェンベが1台、そしてドゥンドゥン1つが必要だろう。典型的には、2つか3つのドゥンドゥンーー中型のサンバン、小型のケンケニが使われる。標準的なアンサンブルは、したがって、2台のジェンベと2台のドゥンドゥン(ママドゥ・カンテMamadou Kante 1994)か、2台のジェンベと3台のドゥンドゥン(ママディ・ケイタMamady Keita 1989, 1992; ファムドゥ・コナテFamoudou Konate 1991)、または3台のジェンベと3台のドゥンドゥン(アダマ・ドラメAdama Drame1994;ママディ・ケイタMamady Keita 1995)で構成されるということができる。普通ドゥンドゥンは3台で限界であるが、ジェンベは何台でも追加できる。ジェンベによるアカンパニマン・パートを2つ以上に作るとすれば、それはリーダーが作ることになるだろう。

 ジェンベには基本的な3つの音がある(スラップslap、トーンtone、ベースbass)が、ジェンベのアカンパニマン・パタンには実は2つの基本パタンしかない。つまり、slap . . slap slap . tone tone(カーンカカンクク)とslap . tone slap . bass(カックカ、ドン)である。ここでドット” . “は休符を示す。また後のパタンの最後のベースはギニアでは休符となることが多い。ジェンベのソロパートは各曲ごとにユニークであるように見えるが、実は曲を特定するのはドゥンドゥンのパートであるのが普通である。西アフリカの太鼓文化の一部や海外の教授法での実施例に反して、ジェンベの異なった音を指すためにギニア、マリで使われている言葉による言い換えの、広く共通するシステムは存在しない。教師たちが学生に太鼓のフレーズを歌うことがあるとしても、その際、どんな音節や母音を使うかは、そのリズムを伝えることを第一の目的にして教師たちが選ぶものである。映画「ジェンベフォラ」Djembefolaの冒頭シーンで、ママディ・ケイタがベルギー人の学生らにあるフレーズを教えている場面は、彼の言い換えがスラップとトーンを区別するには一貫していないことを示している。

 アフリカの外で、歓迎する聴衆に次々と発売されるCD録音の波は、現地でのアフリカ人の好みとはくっきりと対照をなしている。マリとギニアでは、現地の音楽産業が、伝統音楽や現代音楽のカセットを、待ち望む聴衆のために何百と発売しているが、ある音楽のジャンルが目立って欠落している。太鼓の演奏である。実質上、現地ではジェンベ演奏のカセットは手に入らない。太鼓演奏は聴くためでなく、踊るためにあるのだ。ジェンベの演奏にあわせて踊るダンスは共同体のイベントであるからライブのドラマーが必要なのである。都会のポピュラー音楽のグループの一部としてジェンベを聴くこともあるが、それらは、普通はバックグラウンド的役割をはたしているが、まれにソロ演奏が入る。そのようなまれな文脈でジェンベが求められるのは、ダンスのより精神的な側面を呼び起こすためであることが多い。たとえば、ウム・ジュバテOumou Dioubate(1993)は、彼女の心に残る作品であるランシーLanceyにおいて、彼女が双子の赤ん坊を亡くした後でアラー(神)と結ぶ約束を描写している。もし神が自分に「かあちゃん」って呼んでくれるまで生き延びることのできる子供を生む能力を与えてくれたなら、私は聖なるモリバヤッサMoribadjassaのダンスを踊りましょう、というのである。彼女はランシーを生み、ランシーが彼女を呼ぶのが聞こえたとき、彼女は世界の女たちに呼びかけて、モリバヤッサを踊るのを手伝ってほしいと呼びかける。ここがジェンベの出番である。
 
 結論として、ジェンベは西アフリカにおいて長く広くそして深い伝統をもっている。その伝統には、リズムを再創造するために手を動かすという身体的行為(予備的課題にしてはやりがいのあることかもしれないが)をはるかに超える多くがある。というのも、それらのリズムとダンスは、アフリカにおいて生き生きとした意味をもっているからである。畑の開墾、結婚式のお祝い、成人になっていく儀式から、強力なKomo結社の秘密の儀式まで、ジェンベはそれらをガイドするのである。その遺産として、海外で教えているアフリカ人のジェンベ奏者たちは、外国人の学生たちに、アフリカの伝統を忠実に伝えるという使命を負っている。それらの伝統をきちんと求めていくこと、その文化を学ぶこと、ジェンベマスターたちの音を研究すること、そしておそらく彼らを、街や村に彼らを訪ねていくことさえも、私たち次第である。そうでなければ、彼らの伝統は非常に薄められてしまい、その本質そのものが失われるのである。■

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「訳:神野 明(四国学院大学カルチュラル・マネジメント学科)」
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すばらしい資料を公開して下さって、ありがとうございます!
私もジェンベを叩いて10数年になるのですが、以前から疑問に思っていた色々なことが、これを読んだだけでもだいぶ腑に落ちました。
今後私がアフリカから来たジェンベプレイヤーの人たちと交流するときに、きっと「あれ読んでいてよかったな」って思える気がします。感謝!

他にもおススメあります

ありがとうございます。

ジェンベを中心に記述されているもののはそう多くないようなので、これは貴重な文章ですね。
ただ、ここに書いてあること全てが正しいとは限らないので、その点は注意が必要かと思います。

広義におけるマンデ音楽を理解する上で、 Helene Lee氏が書いた『アフリカン・ロッカーズ』をお勧めします。
http://books.livedoor.com/item/1088409

マンデ地域の音楽市場を中心に、フォデバ・ケイタなどにも触れています。
市場から見たとき、ギニアのバレエスタイルという表現方法が伝統ではなく、新しい音楽の形であることや、同様にポップミュージシャンが伝統を重視していることなどが説明されています。
ジェンベにスポットをあてたものではありませんが、西アフリカの音楽と、伝統の変容を知る上では大変面白いと思います。

既に絶版になっているようで、インターネット等であり得ない金額のものも見かけますが、もし運よく機会があれば一読されてはいかがかと思います。

丁寧なレスをありがとうございます。
確かに、鵜呑みにするのは良くないですね☆
でも転載していただいた上記の論考には、実際にアフリカから来たジェンベプレイヤーたちと交流する上で、参考になる問題提起がたくさんあって、それだけでも私にとっては大きな収穫です。

ジェンベは叩いても、西アフリカの文化やその歴史的背景を深く知る機会に、私たちはとにかく恵まれていないんだな、と実感させられました。

これだけジェンベが普及してるんだから、ジェンベについての日本語文献がもっと増えてくれるといいですね♪

「アフリカン・ロッカーズ」もすっごく面白そうですね!
よい本を紹介していただいて、とても嬉しいです。
検索してみたら幸いなことに、うちの近所(東京都立川市)の図書館が「アフリカン・ロッカーズ」を所蔵してるようなので、さっそく借りてみますね。
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